Whtesnake (ホワイトスネイク) / SERPENS ALBUS”サーペンス・アルバス”
Whtesnake (ホワイトスネイク) / SERPENS ALBUS”サーペンス・アルバス”
- クライング・イン・ザ・レイン – Crying in the Rain
- バッド・ボーイズ – Bad Boys
- スティル・オブ・ザ・ナイト – Still of the Night
- ヒア・アイ・ゴー・アゲイン – Here I Go Again
- ギヴ・ミー・オール・ユア・ラヴ – Give Me All Your Love
- イズ・ディス・ラヴ – Is This Love
- チルドレン・オブ・ザ・ナイト – Children of the Night
- ストレイト・フォー・ザ・ハート – Straight for the Heart
- ドント・ターン・アウェイ – Don’t Turn Away
1987年、彼ら、いや、あえて言うならデヴィッド・カヴァデールに最大の成功をもたらすことになる、通算7枚目のアルバム「Whtesnake」の制作は、人間関係とビジネスに翻弄された困難を極めるものとなった。
HM/HRブー厶という時代背景、MTVやラジオによる追い風といった要素が味方し、あらゆる国のチャートにランクイン、米国のBillboard 200チャートでは最高で2位、イギリスのアルバムチャートでも最高で8位にランクイン、全米だけで800万枚以上のセールスを記録したモンスターアルバム。
驚異的なセールスを誇る空前のヒット作であり、内容的にもHM/HR史上に残る名盤でありことは疑いようがない。正式なアルバ厶・タイトルは「WHITESNAKE」だが、アルバ厶・カヴァーの紋章に刻まれた SERPENS ALBUS”サーペンス・アルバス”(ラテン語で“白蛇”の意)」という言葉が本作の通称となっている。 前作「SLIDE IT IN」でアメリカでの地盤を築いたデイヴィッド・カヴァデールは、引き続きレコード会社「Geffen」から発売される本作で、より大きな成功を目指し奔走していた。結果的にそれは果たされたわけだが、実のところ、完成に至る道のりは、あまりにも複雑で独断的なものとなってしまった。
■アルバム・リリースまでの経緯
1985年2月、カヴァデールはジョン・サイクス、ニール・マーレイらとデモ作りを開始。その時点でコージー・パウェルは脱退し、EMERSON,LAKE & POWELLへの参加を表明、後任ドラマー探しが難航するが、オーディションの結果エインズレー・ダンバー(元JOURNEY他)が選ばれる。
マイク・ストーンのプロデュースでレコーディング開始されたのは1985年9月。12月にはセッション.キーボーディストとしてドン・エイリーも呼ばれている。しかしサイクスのギター録りに手間取り、レコーディングは長引く。デモ作りの段階からサイクスとカヴァデールが何度も対立しており、いつ“サイクス脱退”に至ってもおかしくなかったという。
1986年1月にフィル・ライノット(サイクスが以前在籍していたTHIN LIZZYのVo&Gtr)が死亡したためサイクスはイギリスへ帰国し作業は中断。マイク・ストーンは、ヴォーカル録りを進めようとしたが、今度はカヴァデールの声が出なくなり、作業を中断して手術を受けることになる。
1986年6月、作業を再開した時点でプロデューサーをロン・ネヴィソンに替えたが、このテイクは総てボツ。
1986年8月、キース・オルセンをプロデューサーに迎えたが、これにサイクスが異を唱え、マイク・ストーンとの作業再開を主張。
その主張は通ったが、12月にはカヴァデールがキース・オルセンとミックス作業に入り、この時点でサイクス脱退が決定的に
アルバ厶が完成した1987年2月にはダンバー・マーレイらも解雇され、1人残ったデヴィッドはダン・ハフ(後にGIANTで成功)やデニー・カーマシー他のセッション.ミュージシャンとシングル用“Here I Go Again ” (アルバムとは別ヴァージョン)を録音
ツアー・メンバーとしては、エイドリアン.ヴァン デンバーグ 、 ヴィヴィアン・キャンベル 、ルディ・サーゾ、トミー ・アルドリッヂらを招集、このラインナップでビデオ・クリップも作成する。
ホワイトスネイク = デヴィッド・カヴァデール
少なくとも、それまでの白蛇はバンドであった。ブルール・ロックと呼んでもよいような、ある種泥臭い、バンドのケミストリーで勝負出来るバンドであった。
しかし、この世紀の名盤を引っ提げて現れたデヴィットは、金髪のゴージャスなルックスに変貌し、オールスターバンドを率い、PVでは美女と絡むシンボリックでセクシーなアイコンとなっていた。デヴィッド・カヴァデールから”元ディープ・パープルの”という形容詞が必要なくなったのである。アメリカでの成功を手にするためとはいえ、そこに僕らが知る白蛇は存在しなかった。
ホワイトスネイク = デヴィッド・カヴァデール
という等式が成り立つことが証明された瞬間、この不思議な構図が成立した
●アルバムを制作したメンバー
・デヴィッド・カヴァデール <Vo>
・ジョン・サイクス <Gr>
・ニール・マーレイ <Ba>
・エインズレー・ダンバー <Dr>
●ツアーやプロ―モーションしたメンバー
・デヴィッド・カヴァデール <Vo>
・エイドリアン.ヴァン デンバーグ <Gr>
・ヴィヴィアン・キャンベル <Gr>
・ルディ・サーゾ <Ba>
・トミー ・アルドリッヂ <Dr>
SERPENS ALBUS”サーペンス・アルバス”の真価
「こんなに売れても全く不思議でないアルバム」それが”サーペンス・アルバス”です。ダイナミックでエキサイティング、ここに凡庸な曲は1つとしてなく、サウンド面でも、プレイ・パフォーマンス面でも総てが最高水準にあり、正統派HM/HRの教科書のような作品です。80年代HM/HRの1つの到達点と言っても過言ではありません。
特筆すべきは、アルバムに収録されている曲の中でも「Here I Go Again(全米No.1)」、「Is This Love(全米No.2)」に代表される大ヒット・シングルの存在です。それまで、HM/HRバンドが全米シングル・チャートを賑わすことなど想像も出来なかった時代に彼らそれをやってのけたのです。
セルフ・カヴェーである「Here I Go Again」は良くも悪くもカラフルでキャッチーなオリジナルとは別物の曲
「Is This Love」はHM/HRの枠にとらわれない、美しいバラードの名曲となっています。
「Still of the night」は、アメリカ等では「現代のLED ZEPPELIN」と賞賛されるという見当違いな評価を受けていますが、重厚なリフとハイトーンのメロディが特徴的で、デヴィッド・カヴァデールの力強く情熱的なヴォーカルが曲全体にダイナミズムを与え、アルバムを象徴する曲となっています。
他にも、ハードに疾走するリフと、ホワイトスネイク特有のメロディアスさが融合し、ライブは1番の盛り上がりを見せる「Bad Boys」、キャッチーなメロディと3連系リズムの人気の「Give Me All Your Love」
いわゆる、捨て曲なしのオール1軍アルバムです。
デヴィッド・カヴァデール と ジョン・サイクス
SERPENS ALBUS”サーペンス・アルバス”に誰がつくったのか?
・あのカッコよく計算されつくされたかのようなリフを作ったのは間違いなくジョン・サイクスです。
・あの素晴らしいリフを散りばめながらも破綻せず最高の楽曲に仕上げたのもおそらくジョン・サイクスです。
・テクニカルでパワフルでスムージィー、そんなギタープレイで曲を飾ったのもジョン・サイクスです。
・ジョン・サイクス曰く「俺の曲に歌詞を書いて歌ったのは奴(デヴィッド・カヴァデール)さ。それ以外何かしていたかは知らないし、レコードにも入っていないよ。」
SERPENS ALBUS”サーペンス・アルバス”は誰のものなのか?
・ビジネス的にも、サウンド・プロダクトについても、あらゆる困難を乗り越えアルバムを世に送り出したのはデヴィッド・カヴァデールです。
・ジョン・サイクス曰く「奴(デヴィッド・カヴァデール)のやり口は知っていた。ニールやエインズレーの時と同じさ。自分のトラックを録音し終えたらデヴィッドは音信普通になるのさ。電話にもでない。終わったら解雇されるのさ。名声や名誉を独り占めするためにね。」
・ジョン・サイクス曰く「自分の得るべきものを得るために俺はいくつもの訴訟を起こさなければならなかった。クレジットに金、自動的に入ってくるものは何もなかったよ